努力ができないのは悪いことなのか?

2019/02/06

努力ができない。これは、ほとんどの場合において、悪い意味で言われることが多い。

努力ができないのは、甘えだとか。やる気がないからだとか。本当にそうなのだろうか?

そもそも、この「努力ができない」というものを否定しているのは、努力ができる人間なのだ。そんな人間が、努力ができない人間のことが分かるはずがないじゃないか! と僕は思ったりするわけだ。

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努力ができない人間

努力ができないと自覚している人は、こんな自分じゃダメだと思ったり、変わらなければならないと思ったりして自己嫌悪に陥ってしまってるのでは? そうでしょ?

僕もそういう人間だから、そうやって自分を否定してきた。周りの人は、努力できているのに、自分だけができないのはなぜ? きっと自分が悪いからだと思ってしまう。だけど、そうやって、努力しようとしてもできなくて、否定されて、また、自己嫌悪のループ。何度も何度も努力ができない自分に嫌気がさしてくる。

原因は何だろう? 今まで努力をしてきても無駄になったから? 環境が悪かった?

自己分析をしてみるも明確な答えはなかった。そうして最終的には努力をするということは諦め、できるだけ努力をしないようにしようと開き直ったら答えはでた。

努力を美化していたのは自分だった

努力することから逃げて、諦めたら発想が転換した。そもそも、努力ができないのは悪いことだという認識自体が間違っているのではないか?

努力ができないことが悪だというのなら、それを解決する手段は努力をできるようになるしかない。努力ができないのに、できるようになることしか解決手段がないという結論にしかならないのは絶望的じゃないか。そんなの認めたくないでしょ?

だから努力できないことは、もうしょうがない。自分の個性なんだから。じゃあ、それができないということを活かせば良いじゃないかと。

そもそも、努力ができるというのは、嫌なことをできるようにするためのものとして使われることが多い。だとしたら、努力ができないというは、嫌なことを続けることができないということだ。それでいいじゃないか! 努力しないといけないようなことはせずに、努力しなくても良いことだけ続ければ良い。

答えは、単純だった。

努力をしないといけないという価値観を捨てて、努力しなくても良いように行動をしよう。努力をすることができないのなら、努力を全否定して生きよう。

それだけで、気が楽になる。

努力ができない人間のメリット

そうやって努力ができないことを認め、努力しなくても良いような行動をすると、努力ができる人間にはできないメリットもあるはずだ。今、僕が思いつくものは効率性だ。

例えば、計算。

12431×52=646412

こんなの計算器を使えば一発だ。

だけど、これを筆算などで解くことを良しとし、それを努力だと言う人間もいる。無駄でしょ?

計算だと、ほとんどの人が無駄だというのはわかるかもしれない。でも、現実世界では、分かりにくいけれど、これと似たようなことが多々ある。

努力できない僕は、常に無駄な行動を探して、できるだけ効率的にやるようになった。努力ができないからこそ、しなくてもいい無駄を探すのがとてもうまくなる。努力ができないのなら、徹底的に努力をしない人間になる。そうすると、それが強みになる。

エジソンも言ってるでしょ?

「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」

1%のひらめきがなければ99%の努力をしても無駄だと。

努力ができないことは良いことだ

努力ができないことは、良いことだ。努力ができる人間には、見えないものが見える。どうせなら、努力ができないを極めよう。

そうは言っても不安になってしまうよね。

だから、僕がそうやって生きて道を示していけたらいいなと思っている。

あなたも僕と一緒に努力しなくても良い生き方を示していこう。

追記

努力ができないという自分の問題を何とかしようとしているその姿勢はとても素晴らしいものだ。しかし、もしかしたら無駄な時間を過ごしている可能性も高いと思われる。

どういうことかと言うと、『努力ができない』という問題の本質をきちんと理解しているのか? ということだ。

このブログの検索アナリティクスを見てると『努力ができない』という単語で検索してくる方が非常に多い。努力ができないということで悩んでる方がたくさんいるということだろう。

だからこそ、『努力ができない』という問題の本質を理解して、無駄な時間を過ごさないようにして欲しいと思う。

何を言っているのか分からないという方のために順に伝えていこうと思う。

努力の意味とは?

努力ができないという問題を考える時に、一番最初に考えるべきなのは『努力』という言葉の持つ意味だ。

これはWikipediaを見て調べろとか、そういう話ではないということは理解しておいてほしい。

あなたが『努力』という言葉をどういう捉え方をしているのか? ということ。

ここで、僕の好きな哲学者『ヴィトゲンシュタイン』の言葉(超訳書)から紹介しよう。

言葉の意味は人によって違う
二人が同じ言葉を使っているからといって、その二人は同じ考えを持っているとは限らない。
まったく同じ言葉なのに、それぞれがちがう意味で考えていることがあるからだ。
なぜならば、その言葉が決まった意味を持っているのではなく、言葉の意味はわたしたちがそのつど与えるものだからだ。
だから、よく話し合い、互いが考える意味をよく知っておかないと、同じ言葉を使っていながらも衝突が起きてしまうことになる。

~引用 超訳ヴィトゲンシュタインの言葉 ~

言葉というものは不思議なもので、同じ『努力』という言葉でもその人の経験や価値観などによって全く違う意味を持ってしまう。

例えば、『努力』という言葉で言うと、仕事でやりたくないことをできるようになるためのことを『努力』という言葉で表す人もいれば、好きなことをやりたいけど、上手にできないからできるようになりたいという意味で『努力』という言葉を使う人もいる。

ちなみにWikipediaの場合だと

努力とは、目標を実現するために、心や身体を使ってつとめること。

~引用 Wikipedia 努力 ~

そういった、あなたが『努力』をどういった意味で用いているのかを考えると、対策も見えてくるはずだ。

なぜなら、やりたくないけどやらなくてはいけないことをできるようになりたいのなら、『努力ができない』という言葉で検索するのではなく、『やりたくないことをできるようにするには』という言葉で検索した方が、あなたの求めている答えに近いものが手に入るはずだから。

Wikipediaの例でいくと、努力ができないというよりは、『目標がない』とか『目標の決め方』とか、そっちの言葉で検索すると良いかもしれない。

学習性無力感

一つ、面白いものを紹介しようと思う。『学習性無力感』というものだ。

長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。他の訳語に学習性絶望感獲得された無力感学習性無気力がある。

~引用 Wikipedia 学習性無力感 ~

分かりやすく言うと、やることなすこと否定されたり、マイナスのイメージを持ってしまうと、やらない方が良いと学習してしまうということ。

例えば、パートナーが忙しそうだからと、皿洗いを手伝ったら汚れが残ってるときつく言われた。せっかくやったのにそんなこと言わなくてもと思う。また、同じような機会があり皿洗いを前回よりも注意して手伝うとまたしても汚れが残っていると文句を言われた。

こういうことを繰り返していると、文句を言われるくらいなら皿洗いをしない方が良いと思って何もしなくなる。そうすると今度は、あの人は私が忙しくても何もしてくれないと言われたりするんだよねww

一言『ありがとう』と言って、「でも少し汚れ残ってたから気を付けてねー」くらいであれば、そんなことにはならないのに、これができなくて悪循環に陥っている人も多い。

日常で見てると、結構この『学習性無力感』を起こさせるような言動、行動をしている人が多いので注意が必要だ。

努力ができないというのは、自分に原因があると思い込む人も多いが、こういう他人が原因の場合もあるということもひとつ参考にして欲しい。

努力という言葉の本質

ここまで読んだ方は、もう分かってきたと思う。『努力』という言葉には、様々な意味がある。そしてそれは、あなたの中にしかないということ。

努力ができない人のための記事はたくさんあるが、どれも本質的な意味については触れてない。抽象的な問いには、抽象的な答えしか得ることができないということは覚えておいて欲しい。

具体的な答えを得るためには、あなたの中の『努力』の意味を具体的に考えることが大切だと思う。そうすることで、『努力ができない』という問題に対して、無駄な時間を使うことなく解決できる可能性が上がることだろう。

あなたが無事に問題を解決することを祈っている。